なぜ楽をしてはいけないのか


 私なんかはもう、面倒なことは極力なくしたい人間なのですね。例えば小説でも絵でも、愚直に練習するよりはなんとか楽な方法を探したり、効率的に行って面倒を少なくしたいと考えるタイプなのです。だから結構、グーグル先生とかで「練習 コツ」とか検索しちゃいます。

 そんなときに時々見かけるのが、「コツなんてない。練習あるのみ。コツを探して楽してうまくなろうだなんて、虫がよすぎる」という意見です。

 日本って、どことなくこういう風潮がありません? 楽は駄目。勤勉が素晴らしい。努力は人を裏切らない。努力は必ず成果に繋がる。そんな感じ。

 この考えはあまり面白くないですよね。試行錯誤がない。コツとか探してある意味がんばって楽をしようとしている人間から言わせてもらうと、「楽をしよう」というのも努力なのです。貴方には貴方の努力、私には私の努力。努力の形は人それぞれなのです。そして、努力は正しくしなければ効果が無い。正しさの定義が曖昧な以上、やりたいようにやるのが一番。虫がよすぎるという帰結にもっていくのははてさてと思うわけでございますよ。

 リモコンだってあれだよ。寝転がったままテレビのチャンネルをかえたい、つまり楽がしたいから発明されたわけです。そう、この世の発明品の多くは楽がしたいがために生まれたと言っても過言ではありません。

 楽がしたいという意思もまた、立派な努力の源になり得るのです。探さなければ近道があるかないかは分かりませんし、例え近道がなかったとしても、近道を探すために風景を眺め、注意深く辺りを観察することになるのです。地面をじっと見つめてただ歩くより、それはなんと色と輝きに満ちた世界でしょうか!

 つまりそう、皆さんも楽をしようではありませんか!

 ……まあ、究極の楽は何もしないことなわけですけれど。そうなるとどこかの駄目鶏になってしまいますね。
[PR]
by einsame | 2010-01-04 14:25